居場所がないと感じるのはなぜ?もう十分頑張った人が立ち止まるために

「居場所がない」。
家にいても落ち着かず、外では明るい自分を演じて、どこにいても何かからはぐれているような感じがする。
人の輪に入ろう、誰かの役に立とうと、もう何度も試してきた方も多いのではないでしょうか。

必死に馴染もうとして動いてきた分だけ、傷ついてきたのだと思います。

この記事では、居場所がないと感じるときの心理と、職場や家でつらくなる場面を整理します。
そのうえで、次の努力の前に、まず立ち止まっていい理由をお伝えします。

居場所はつらい努力で得るものじゃない

貢献も、人の輪に入ることも、もう試してきた

「居場所がない」と調べると、よく出てくる対処法があります。

  • コミュニケーションを増やすこと
  • 趣味や習い事で新しい場所を探すこと
  • 小さなことから人に貢献すること
  • 心の中に自分の居場所を作ること

どれも間違いではありません。
実際に、それで楽になる方もいらっしゃいます。

ただ、カウンセリングに来られる方の話を聞いていると、そんなことはとっくに思いついて、やろうとして、うまくいかなかったという方が少なくないのです。

話しかけてみた。サークルに入ってみた。頼まれごとも引き受けた。
それでも馴染めなくて、そのたびに傷ついて、ようやく何かヒントがほしいと検索している。

そんなあなたに「もっと行動しましょう」は、やっぱりしんどいですよね。

燃料切れのまま走らなくていい

今のあなたに必要なのは、次の努力ではないのかもしれません。

燃料が切れて燃え尽きた状態で、走れと言われている。
「何か行動しないと」と思うほど苦しいのは、それに近い状態だからだと思います。

ですから、この記事では「居場所の作り方」より先に、まず立ち止まっていいという話をします。

「居場所がない」と感じるときの心理

場所も人もあるのに、安心していられない

原因としてよく挙げられるのは、自信のなさ、思い込み、育った家庭環境などです。
これらは別々のことではなく、カウンセリング現場では「自分がここにいていい安心感がなかった」という気持ちが隠れていることが多いです。

現場で感じるのは、居場所とは安心感に近いということです。
安心してどこかに所属している感覚がない。
だから、席があっても、家族や同僚がいても、居場所がないと感じるのです。

人とのつながりを求める気持ちは、性格の問題というより、人間に広く備わった強い欲求だと考えられています。
心理学者のバウマイスターとリアリーは、さまざまな研究を検討して、所属の欲求は人間の根本的な動機のひとつだと論じました(Baumeister & Leary, 1995 “The need to belong”、英語の論文です)。

居場所がなくてつらいのは、大げさでも、わがままでもありません。
人としてごく自然な苦しさです。

私自身、元公務員なのですが、安定職と言われる場所がずっと苦しく、退職をして全国を引っ越して回り、それなりの居場所ができてもまた漠然と苦しく、さらに引っ越しを続ける生活でわかりました。

居場所は行動のなかじゃなく、傷ついているということに気づき、どこまで自分を許してやれるかにかかっていること。それができない限り、どんな努力をしてもどこにいてもはぐれている感じがしてしまうのです。

人間不信とは違う、「本当は馴染みたい」寂しさ

居場所がないと話す方は、人嫌いとは限りません。
話していると温かくて、人にもフラットな目を向けられる方がたくさんいらっしゃいます。

本当は馴染みたい。楽しく一緒にいたい。
でも、自分なんかが受け入れられるわけがないと感じて、自分を出せない。

遠ざけているのではなく、寂しいのです。
寂しさとの付き合い方は、孤独感を感じきって解消する方法の記事でも書いています。

どこにいてもはぐれている感じがするとき

休みの日、家にいても焦ってしまう

職場や家庭といった特定の場所ではなく、なんとなく、世の中全体からはぐれている感じ。
そう話す方もいらっしゃいます。

たとえば、ひとり暮らしの休みの日。
誰にも何も言われていないのに、焦りばかりが募っていく。
掃除を始めると「これは違う」と感じて、出かけようとすると片付けが気になる。

どれもしっくりこなくて、一生懸命あがいているのに落ち着かない。
自分一人の部屋なのに、そこにも居場所がないような感じがするのです。

外では明るい自分を演じている

それならと外へ出て、友達を作ろうとサークルに入ってみる。
でも、そこでは明るい自分を演じてしまう。

家にもない。外にもない。
頭では大げさだとわかっていても、感覚としては、どこにも居場所がないのです。

居場所がない人がつらくなりやすい場面

仕事の話はできるのに、雑談がつらい

相談の中でよく話題になるのが、雑談のつらさです。

仕事の話やお題が決まっているときは、何をすればいいかがはっきりしています。
その間は、居場所のなさを一瞬忘れられる。
仕事ができる方ほど、周りからは悩みがあるように見えません。

ところが、会議の前後のちょっとした雑談になると、途端に何を話せばいいのかわからなくなってしまいます。

「なんでも話してね」と言われても声が出ない

せっかく周りが聞いてくれても、うまく話せない。
意識して隠しているのではなく、弱さや本音を出すことが、そもそも選択肢にないのです。

話そうとすると、喉が詰まるような感じがする。胸がざわつく。
顔は笑っているのに、たいした返事ができない。
結局、大丈夫そうな自分を演じて、あとから「プライドが高いだけだ」と自分を責めてしまいます。

周りが黙ると「しらけさせた」と感じる

自分が話したあとに、ふと周りが静かになる。
それだけで「しらけさせたんじゃないか」と不安になる方もいます。

実際には、いじめられているわけではなく、みんな一生懸命に聞こうとして真剣な顔になっているだけかもしれません。
でも本人には、そう見えないのです。

仲良くなりたい努力ほど空回りする

だから、もっと一生懸命に話す。もっと気を配る。
すると話が長くなったり、余計に疲れたりして、ますます居づらくなっていきます。

居場所がない人の悲しみは、ここにあると思います。
悪気はひとつもなく、むしろ仲良くなりたくてやった努力が、空回りしてしまう。

そんなときに「全部ってわけじゃないでしょ」と言われるのは、とてもつらいものです。
本人にとっては、何をやっても絡まってしまう感覚だからです。

職場に居場所がないと感じるとき

仕事がうまくいかず、いる価値がないと感じる

仕事がうまくいかなくなると、居場所がないと感じ始める方がいます。
机も役職もあるのに、そこにいる自分の価値を見いだせない。
「居場所がない」という言葉の裏に、「いる価値がない」という気持ちが隠れていることがあります。

自分のベストと組織のベストがくいちがう

私のところに相談に来られる方に多いのは、やる気もあるし、頑張っているのに居場所がないと感じる方です。

自分が考えるベストと、組織のベストがくいちがう。
予算や古い慣習を理由に、「言うとおりにできたらいいけどね」で終わってしまう。
力が活かされないことに虚しさを感じるけれど、辞めるほどではない。

要領のいい人ばかり評価されて見える

そんなときに、仕事はそこまででもないのに、話がうまい人がちやほやされている。
これは、かなりこたえます。

「もっとコミュニケーションを」と言われても、話がかみ合わないのは当然です。
その方の悔しさは、人付き合いの量の問題ではないのですから。

強く言われた場面を引きずってしまう方は、言い返せない悔しさを引きずらないためにの記事も参考にしてみてください。

家に居場所がないと感じるとき

家族に軽んじられる悔しさ

家に居場所がないというと、働くお父さんの話を思い浮かべるかもしれません。
でも現場では、お子さんが大きくなった家庭のお母さんからもよく聞く言葉です。

外で働いていないことを、子どもに軽く見られる。
ダサいと思われている。約束を軽く扱われる。
小さなことに見えても、積み重なると、かなり悔しくて悲しいものです。

世話をするだけの存在のように感じる

だんだん、自分が身の回りの世話をするだけの、取るに足らない存在のように感じてくる。
社会に出て働いていない自分には価値がない、という気持ちが裏にあることもあります。

居場所がなくて疲れたら、まず立ち止まる

責め続けて、頭が真っ白になっていないか

ずっと自分を責め続けていると、頭が真っ白になってしまいます。
その状態では、何をやってもしっくりきません。

まずは、「今の私は、ちょっと頭が真っ白になっているかもしれない」と気づいてみてください。
気づくと、少しだけ止まる勇気が出てきます。

みんな「何かしろ」と言いますが、立ち止まる勇気は意外と難しいものです。

自分が何に傷ついてきたのかに気づく

次にやるのは、努力ではありません。
自分が何に傷ついてきたのかに、気づいていくことです。

話しかけても手応えがなかったこと。
明るくふるまって、帰り道にどっと疲れたこと。
軽く扱われて、悔しかったのに笑っていたこと。

「そうか、私は傷ついていたんだ」とわかると、少しずつ自分にやさしくなっていけます。

立ち止まると、焦りが出てくる

ただ、立ち止まるだけだと、必ず焦りが出てきます。
「こんなことをしていていいのかな」と。

それは自然なことです。
それだけ頑張ってきたのですから、止まるのが怖くて当たり前だと思います。

理屈ではないところで、ふと居場所を感じることもある

どう感じてもいい、誰の反応も読まなくていい世界

カウンセリングの現場では、人以外のところで、ふと居場所を感じたと話す方もいらっしゃいます。
自然の中を歩いていたとき。
いつもと違う道で帰宅しただけのとき。

理屈ではありません。
そこでは、どう感じてもいいし、誰の反応も読まなくていい。

それは、本当に静かな場所という意味ではありません。
必死に合わせてきた自分が、反応しなくていい世界のことです。

だから、無理に探しに行くものでもないと思います。
そんな瞬間があったなら、「あれは何だったんだろう」と覚えておくだけで十分です。

人の中で安心できる場所については、安全基地の記事で詳しく書いています。

自分にやさしくするとは、楽になる許可を出すこと

甘い言葉をかけることとは違う

自分にやさしくする、と聞くと、「頑張ったね」と慰めることを想像するかもしれません。
でも、それとは少し違います。

苦しい忍耐だけが努力だと思い込んでいた自分に、楽になる許可を出すこと。
これが、ここで言う自分へのやさしさです。

「立ち止まると焦ってしまう」方へ

「とはいえ、ひとりで立ち止まるのは焦ってしまう」と思われたかもしれません。

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頑張ることを増やすのではなく、自然と気づいていくために作ったものです。

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あなたが、ここにいていいと少しずつ感じられますように。

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心理カウンセラー 外では「しっかり者」「いい人」でいられるのに、内側はずっとしんどい。そんな方が、自分で自分を守れるようになることを目指してカウンセリングをしています。私自身も、生きづらさや愛着の課題と向き合ってきた一人です。これまでに延べ2,000回以上のカウンセリングを行ってきました。 プロフィールの詳細はこちら