気を遣いながら人間関係をこなして帰宅したのに、他人の何気ない一言がよみがえることってありませんか。
たとえば苦労して仕事を終えたあなたに、後輩から「私は一発でうまくいきましたけどね」との一言。その後輩は普段、気はきかない癖に、余計な一言を言わなくてよくない?と頭から離れず、夕飯を食べているときまでイライラ。
愚痴を聞いてもらっても好きなことをしていても、楽になるのはそのときだけ。この先ずっと、アイツに限らず人間関係に疲れるのかと思うと気が遠くなったりして。
実はこうして人間関係に疲れてしまうのは、怒りの抑圧が大きな原因なのですが、いちいち爆発もしていられませんよね。ただ、怒りを抑えている本当の目的は、大人の対応のためだけでなく、幼少期の哀しみを感じないためかもしれません。
この記事では、人間関係に疲れたときの本当の心の原因を見つけ、癒す方法まで現役の心理カウンセラーがセットでお伝えしていきます。
人間関係に疲れるのは飲み込んだ怒りのせい
人間関係に疲れたときによく言われるのは、「気を遣いすぎ」「頑張りすぎ」という答えです。
なら気を遣わずに好きにやろう、と切り替えられるどころか、結局は我慢してやるべきことをやらないといけないイライラが募るだけ。その怒りを抑えるだけで手いっぱいになりがち。
気を遣うことそのものは、あなたにとってそれほど苦ではないはずです。むしろ上手な人のほうが疲れがたまりやすい。
問題は気を遣ったあとに残るもののほうです。相手の一言にカチンときたのに、その場では笑って流した。あとになって「やっぱりおかしいでしょ」と思い返す。
疲れの正体は、気を遣ったことよりも、そのときに飲み込んだ怒りを抱え続けていることにあるのです。
怒りは抑えても消えず、後からこみ上げてくる
「怒っても仕方がないでしょう」
「もっと関係が悪くなるだけですよね」
相談の場で、とてもよく聞く言葉です。
「怒りの我慢が原因です」などと言われても、何の解決にもならない。そう思われてカウンセラーに対しても怒りを我慢する方もいらっしゃるでしょう。
怒っていることは、自分でもわかっている。でも、怒ったところで相手は変わらないし、職場の空気が悪くなるだけ。だから大人の対応で収める。
ところが、頭で収めた怒りは、消えたわけではありません。帰り道や夕飯のとき、お風呂に入っているときに、ふとよみがえってくる。思い返すたびにイライラして、そのたびにまた「仕方がない」と押し込める。
このくり返しだけでも、心はかなり消耗していきます。
「言い返せなかった自分が情けない」がさらに疲れさせる
こみ上げてきた怒りは、やがて相手から自分へと向きを変えます。
「あのとき、なんで一言でも言えなかったんだろう」
「こんなことでいつまでも腹を立てている自分が、情けない」
相手への怒りに、自分への情けなさが重なる。人間関係の疲れは、この二重の重さから来ていることが多いのです。
その場で言い返せない悔しさについては、言い返せない悔しさを引きずらないためにでくわしく書いています。
なぜ自分だけが、あの人に疲れるのか
そんなとき、もう一人の自分がささやいてきます。「ほかの人はうまくやっているぞ」と。
気にしているのは自分だけに見えると、「私がおかしいのかな」と思えてきますよね。まったくそんなことはないのです。
これもまた、周囲の人に合わせてうまく立ち振る舞っている自分でないと、危険なことが起こると思い込んだ過去を持っている人によくある状態です。
それでも周囲がうまくやっているように見えるのはなぜか
自分と比べて周囲がうまくやっているように見えるとき、現実にそうだったとしても、なぜそこにばかり意識が向いてしまうのかを知るほうが大事です。
兄弟姉妹やいとこ、近所の同級生等、比べられることに慣れてしまった人にとって、周囲は常に自分を低く見積もるものさしになります。
それは自分を傷つけるためではなく(結果として傷ついてしまうのですが)、自分よりできる人がいることで叱責を受ける、だからそのレベルに早く成長しないと居場所がなくなってしまう恐怖を感じないよう、向上心に見せかけた不安を警告としてうけとっているのです。
そんな状態で自分の感情通りに言い返す余裕がなく、ひとまず我慢をして後から落ち着いて考えようとしたとき、自分の気持ちよりも大きい音を出す警告に耳が傾いていく。
そうわかってくると、言い返せない自分が情けないのではなく、言い返せる状態でないことが頭では理解できるかと思います。とはいえ、気持ちがついてこないからつらいんですよね。
困るのは、「自分だけが気にしている」と感じるほど、怒りをもっと抑えようとしてしまうことです。
みんなが流せているのだから、自分も流さなきゃ。こんなことで怒るなんて、心が狭い。そうやって抑えるほど怒りの行き場はなくなり、疲れは深くなっていきます。
職場の人間関係に疲れたときに起きていること
職場はとくにこの抑え込みが起きやすい場所です。相手を選べない。評価や立場がからむ。そして、ちゃんとやっている人ほど損をしているように見える場面が少なくありません。
でもこれって、よく観察すると家族と似ていませんか。メンバーは選べず、子、兄、妹といった立場と、何らかの評価が常についてまわる。自分から家事を手伝えばほかの人が楽をしている。
特に目に見えない親の愚痴聞き役や、家事手伝いも親の不安定な精神的なサポートの目的でしてきた方にとって、職場で同じような役回りをしたとき、感情が揺さぶられやすくなります。
誰が応対してもかまわない来客や電話が鳴った時にワンコールで出られる人、役割が明確でない雑務や片付け。
これらを率先してやることが嫌なのではなく、いつの間にか自分の役割のようになって、他の人が楽をしているのを見たときに、それにモヤモヤする自分が嫌になることもあるし、当たり前にしてくる周りに怒りを覚えることだってあります。
そんなすべての感情が平等に大事なのに、どこかで自分を責めることしかできないと諦めている。
その中で、勇気を出して動いたのに状況が悪くなると、「やっぱり怒っても仕方がない」という思いは、さらに強くなってしまいます。
趣味や愚痴で楽になっても、すぐ元に戻るのはなぜ?
人間関係に疲れたときの対処法として、よく挙げられるのは次のようなものです。
- 苦手な人とは距離を取ること
- 断る、割り切ること
- ひとりの時間をつくること
- 趣味や友達との時間で気分を変えること
どれも大切なことですが、言われなくてもとっくに考えたことじゃないでしょうか。
もうやってきたことを言われて傷つく
こうして検索してきてくださって、もうとっくにやってきたことしか書いていなければ、やっぱり自分が特別ダメなんだなという気がして。手詰まりな気持ちが強まり、余計に苦しくなるのではないでしょうか。
怒りを抑えて疲れている人に、さらに抑える方法を足しても、楽にはなりにくいのです。
怒りを発散しても長続きしない
では、怒りを外に出せばいいのでしょうか。
愚痴を言う、身体を動かす、思いきり書き出す。そのときはスッキリしても、しばらくすると、また同じイライラが戻ってくる。そんな経験はありませんか。
表に出ている怒りは、いわば氷山の見えている部分です。その下にあるものに触れないかぎり、怒りはまた湧いてきます。
怒りを氷山にたとえる考え方は、アメリカのゴットマン研究所も「怒りの氷山」として紹介しています。表に見えている怒りの下には、恥ずかしさ、さみしさ、落ち込み、恐れといった別の気持ちが隠れていることがあり、いくつかの気持ちが重なっていることもある、とされています。
出典:Kyle Benson「The Anger Iceberg」(The Gottman Institute)(英語の記事です)
傷ついているのは単発の出来事ではなく、それまで我慢して、人にみられず、こつこつと続けてきた気遣いが、あまりにも尊重されないことへの哀しみが強いのに、例えば、愚痴という形で発散しようとしても、なんかしっくりこないのは当たり前なことです。
優しさを踏みにじられてつらい思いをしているのに、怒りという形で出してもなんだか自分が悪者になる気がして、スッキリすることは長く続きません。
抑え続けた怒りは、いつか爆発する
かといって、抑え続けるのにも限界があります。
小さな一言をきっかけに、自分でも驚くほど強い怒りが出てしまう。関係のない家族に当たってしまう。そしてまた、そんな自分を責める。
放っておいた生ごみがやがて臭いはじめるように、閉じ込めた怒りは、時間がたつほど扱いにくい形で出てきます。
だから長く続かないとはいえ、一時的な怒りの発散も当然あっていいものなのです。その怒りで自己嫌悪に陥らないためには、子どもの頃に覚えた諦めの感情に寄り添う必要があります。
我慢してきた怒りが職場で爆発してしまう心理は普段おとなしい人が職場で突然キレるのはなぜ?で、一言にカッとなってしまうときの向き合い方はコントロールできない怒りの対処法でくわしく書いています。
「怒っても仕方がない」は子どもの頃に覚えたもの
「怒っても仕方がない」という考えは、大人になって身につけた処世術のように見えます。でも、カウンセリングで話をうかがっていくと、もっと前、子どもの頃から続いていることがほとんどです。
そこにはご本人にも自覚がない、私の感情は大事にされなくて当たり前だという前提が隠れていることがあります。
これが幼少期に親との関係で生まれやすい感情で、自分に対して「お前らしくあると危険だぞ」「だからお前の感情は見せるな」と命令し、必死に自分を守ろうとしているのです。
そうしないと、「大事にされなくて当たり前な私」を幼少期にそのまま受け止めることなどとてもできないから。
怒ると、もっと強い声で止められた
たとえば、母親と言い合いになっていると、普段ほとんど話さない父親が、大きな声で喧嘩を止めに入る。そのとき悪いのは、決まって自分の側になってしまう。
子どもの心には男性の大きな声というのはとてもこわいもので、有無を言わさず自分の感情を押し込めないと危険な目に遭ってしまいます。
それでも自分なりに言い分を聞いてもらえなかった。大事にされなかった哀しみや、例えば兄弟げんかの場面だったら悔しさだって抑えることになるでしょう。
だったら我慢したほうがいい、と頭が決めた
そんな悔しい思いをするくらいなら、怒りは我慢しておいたほうがいい。子どもなりに、そう決めたのです。
それは弱さではなく、その家で過ごしていくための、精一杯の工夫でした。そうして大事にされなかった哀しみも一緒に、なかったことにしてしまったのです。
ただ、頭で決めたことと、心の動きは別です。自分らしくあれば我慢せずに言い返したかったものを、自分でも知らないうちにガマンし、後から怒りで悶々としてくる。そして、言い返せなかった自分を情けなく思う。
職場のアイツに疲れているようで、実は子どもの頃からの我慢が、今も続いているのです。
怒りを抑えていた本当の目的は、哀しみを感じないこと
その我慢の裏にある、怒りで強くしていないとやっていられないほどの大きな哀しみに、少しずつ気づいてあげる必要があります。
怒りの下にある、汲み取ってもらえなかった哀しみ
怒りは「二次感情」と言われます。別の気持ちが先にあって、それが怒りの形で出てくる、という意味です。
そう考えると、言い返せなかった自分への情けなさは、三次感情と言えるかもしれません。これらを丁寧にほぐしながら、一次感情に近づいていくこと。
ここにきてやっと、「自分がどうしたいか」が見えてくることで、感情が変化し、行動も無理なく変わっていくのです。
カウンセリングの現場で、怒りの下をていねいにたどっていくと、多くの方が行き着く一次感情は、気持ちを汲み取ってもらえなかった哀しみです。
本当は、わかってほしかった。言い分を聞いてほしかった。味方になってほしかった。
「大事にされなくて当たり前」という前提を味わうと深い哀しみが襲ってくるため、怒りを出すことで哀しみにフタをしているのです。
この怒りで自分を強く奮い立たせていないと、自分の感情を大事にされない哀しみに触れてしまう。それを避けるために無意識に怒りの形に変えて、一番感じたくない感情の代わりに、二番目でもマシなほうの怒りを選んでいる状態なんですね。
怒りを抑えてきた本当の目的も、この哀しみを感じないことだったのかもしれません。
そのフタを開けようとされれば、誰だって怒りがでてくるのは当たり前なのですが、そうして感じた自分の中の怒りにすら、罪悪感をもって謝ってくださる方もいます。
哀しみは、怒りよりずっと気づきにくい
怒りは、イライラや身体の熱さとして、はっきり感じられます。さらに行動も引き起こしやすく、一見すると解決に向かいそうな感情です。
一方で哀しみは静かで、解決策から逃げてしまうような感覚を呼び起こすため、早く解決したい焦りから、無意識にあとまわしにされやすい感情です。
「哀しいというより、ムカつくんです」と話される方も少なくありません。だから、怒りの話をいくらしても、哀しみにはなかなか届かないのです。
怒りの下の哀しみに気づくために
哀しみは、「感じよう」と思っても出てきてはくれません。具体的な一つの場面をていねいにたどることで、はじめて顔を出します。一人で試せる手順を紹介します。
疲れた場面を一つだけ思い出す
最近、人間関係に疲れたと感じた場面を一つだけ選びます。あの人の一言、そのときの表情、まわりの空気、自分がどう返したか。
この記事にたどり着かれたなら、今日まさにそんな情景を思い返していらっしゃるかもしれませんね。
いくつも思い出すと、怒りが連鎖して大きくなってしまうので、一つだけで大丈夫です。
今、怒りが湧いていますか?
その場面で、本当はどうしてほしかったのかを、自分に聞いてみます。すると、「そんなことはどうせ叶わないから考えさせるな!」といった怒りや、げんなりした諦めが出てきていないでしょうか。
それが哀しみのフタの部分で、強くあなたを守ってきてくれた感情です。
正解を探す必要はありません。「頑張っているのを見てほしかった」「せめて一言、ありがとうと言ってほしかった」。ふと浮かんだものを、そのまま拾っていきます。そうした感情が、怒りへの労いになるからです。
身体の感覚で確かめる
浮かんだ言葉を、心の中でゆっくり言ってみてください。もしも言葉が浮かばなければ無理に言葉にはしません。
肩やお腹に入っていた力を少し抜きながら言うと、鼻の奥がツンとしたり、胸のあたりが重くなったりすることがあります。言葉にならないときは、肩にぎゅっと力を入れて一気に力を抜きます。
このとき、怒りを一緒に身体の外に出すイメージです。追い出すのではなく、対等に向き合ってあげるために外に出すのです。
そこでもしかすると、ほんの少しだけ身体が軽くなるかもしれません。ほんの一瞬だけです。
それが、怒りの下にあった哀しみのサインです。涙が出そうになる方もいます。そんなときは止めずに、そうっと流れるままにしていてください。身体は言葉を発しませんが、心を雄弁に表してくれます。
つらくなりすぎたら、途中でやめていい
思い出すうちに怒りばかりが大きくなったり、苦しくなりすぎたりしたら、そこでやめてください。
目を開けて、まわりにあるものを一つずつ見る。足の裏が床についている感じを確かめる。ポンポンポンと、上半身から太もも辺りを軽くたたく。それだけで、今の場所に戻ってこられます。
一度で哀しみにたどり着けなくても、まったく問題ありません。
漠然と人間関係に疲れるときは
特定の誰かがいるわけではないのに、なんとなく人間関係そのものに疲れている、という方もいます。
誰といても、どこか一人ぼっちな感じがする。素の自分を見せられない。気づけば人に合わせてばかりで、自分が何を感じているのかもわからない。
そんな疲れ方をしているときは、怒りよりも先に、自分の気持ちそのものが見えにくくなっているのかもしれません。自分の気持ちがわからないのは合わせる力が高過ぎるからで、その仕組みと、気持ちに出会っていく方法を書いています。
「この先もずっと続くのか」と思ったら
相手が変わらなくても、疲れ方は変わっていく
職場の例で出てきた「アイツ」は、たぶんすぐには変わりません。かといってあなた自身が職場をすぐには変えるわけにもいかないことがほとんどでしょう。
それでも、怒りの下の哀しみに気づけるようになると、同じ一言を言われても、引きずり方が変わっていきます。疲れの元が相手ではなく、自分の中に飲み込んできた気持ちにあるのなら、そこは自分の手で扱っていけるからです。
哀しみをひとりで感じきるのは難しい
「そんなに簡単に、哀しみなんて感じられない」。そう感じるのは自然なことです。長いあいだフタをしてきた気持ちほど、一人では近づきにくいもの。
カウンセリングでも、対話の中で少しずつ深めていくうちに、ようやく涙が出るまで感じられる方もいます。
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フタをしてきた哀しみに気づけたとき、あの一言は、もう夕飯の時間まで追いかけてこなくなるかもしれません。


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