明日の朝いちばんに、上司へ伝えなければいけないことがある夜。布団に入っても、相手のため息や「なんで今まで黙ってたの?」という一言ばかりが浮かんできませんか。
そんな日に限らず、まだトラブルも起きていないうちから、怒られる自分を想像して身体がこわばる。
職場では無難にコミュニケーションを取れるぶん、周りから「大丈夫な人」と思われているから、進んで助けてもらえることが少ない。それだけに、怒られるのが怖かったり助けてもらいたかったりすると、それは甘えだと萎縮してしまうかもしれません。
実はその怖さ、ただの甘えではありません。
その奥にあるのは、怒られることへの怖さより、ずっと深い怖さが潜んでいることがほとんどです。
この記事ではカウンセリングの実例をもとに、なんでここまで怒られるのが怖いんだろうという疑問に答え、不自然に大きくなる怖さをほどく具体的な手順まで、現役の心理カウンセラーがお伝えします。
怒られるのが怖い=がっかりされるのが怖い
カウンセリングに来られた方は、最初から「怒られるのが怖い」とはっきり口にされます。ただ、本当にそうなのかは、ご本人も疑問に思っていることが多いのです。
とりあえず怒られるのが怖いのだろうとは思っているものの、完全に納得がいっているわけではない。実際に怒るような人が相手でなくても、緊張感や怖さがわいてきてしまいます。だから困るんですよね。
日常業務はぎりぎりこなせているのに、どこかスムーズにいかない。その理由のつかない「なんとなくの怖さ」を抱えたままこられるのです。
その居心地の悪さに対して、ひとつひとつ質問で掘り下げていくと、ただ怒られたくないわけではないことがわかってきます。その根本にあるのが「がっかりされたくない」という心理なのです。
向上心から頑張っているように見えて、実は恐怖がモチベーションになっている。怒られるのが怖いという気持ちの正体は、叱責そのものより、相手の期待から外れてがっかりされることへの怖さなのです。
怒られる前がいちばん怖い
がっかりされるのが怖い人にとって、一番つらいのは怒られている最中ではなく、その前の時間です。
まだ何も起きていないのに、頭の中では何度も怒られている。上司の表情、ため息、言われそうな一言まで先に想像してしまうため、実際に怒られる時間よりも、身構えている時間のほうがずっと長いのです。
普通の指摘でも叱られているように聞こえる
恐怖がモチベーションになっていると、目指すものは目立った成果ではなくなります。目指すのは、ミスをしない「普通の人」でいること。
ただ、この普通は、自分にとっての普通ではありません。上司にとって、同僚にとって、先輩にとっての普通に、自分が当てはまっているかどうか。一人ひとりのニーズにぴったり合った自分でいることが、あなたにとっての優秀さなのです。
「普通はこうするでしょ」
この言葉が恐ろしくてたまりません。
だからこそ、ちょっとした指摘でも「あなたは私の普通に当てはまっていない」と言われたように響きます。相手は軽く注意しただけでも、あなたの中では叱責として届いてしまうのです。
怖いのは「そんなこともわからないの?」と思われること
相手にとっての普通に合わせようとすると、答えはいつも相手の中にあることになります。
けれど、相手の気持ちを完璧にわかることはできません。ぴったり合っているかどうか、自分では確かめようがないため、どれだけ頑張っても怖さがおさまらないのです。
「そんなこともわからないの?」という一言が怖いのは、それが相手の普通から外れた証拠のように聞こえるからではないでしょうか。この怖さは、わからないことを口にできない、という形でも表れてきます。
こうして相手の反応を先回りして読む力が、休むことなく働き続けている状態に身体が負担を感じ、「怖い」という感情で先読みを止めようとしているのです。
怒られるのが怖いのは甘えではない理由
怒られるくらいで怖がるなんて甘えだ、と自分に言い聞かせるとき、心の中では何が起きているのでしょうか。それを知ることが、甘えではないと納得するための鍵になります。
結論から言うと、そのとき心の中では「責める親」と「従う子ども」の二人がペアになって、心を占領しています。責める親の声は、幼い頃の親との関係に似てきやすい。従う子どもは、その頃の自分が生き延びるために選んだ、精一杯のやり方をくり返しています。
この「責める親」「従う子ども」は、心理学者エリック・バーンが始めた交流分析という考え方をもとにしています。交流分析では心の中の親を「批判的な親」と「養育的な親」、子どもを「自由な子ども」と「順応した子ども」に分けてとらえます。ここでの「責める親」は批判的な親、「従う子ども」は順応した子どもにあたります。
だからこそ、怒られるのが怖いのは甘えではありません。相手の小さな変化に気づく力が強く、子どもの頃からその力で自分を守ってきたからこそ、怖さも人一倍わいてくるのです。
相手のニーズを汲み取る力が強い
上司のため息のつき方や、あきれたような表情。ただ質問しただけなのに、うるさそうにされる様子。そうした小さな変化に、あなたはすぐに気づくのではないでしょうか。
気づいたとたん、「空気を読み違えて話しかけてしまった」と自分を責めやすいのですが、その反応は、目の前の上司だけに向いているとは限りません。ため息や表情にここまで敏感になるのは、子どもの頃の親の様子が、職場の人に映し出されているからかもしれないのです。
相手のニーズを汲み取る力は、もともと、親の様子をうかがいながら育つ中で身についた力でもあります。
怒られないように先回りした子ども時代
カウンセリングでいちばん多く聞くのが、「手のかからないいい子」だったという話です。
「あなたは手がかからなくて楽な子だった」と親に言われたり、懇談会や家庭訪問で、親が先生に「この子は手がかからないんですよ」と話していたのを覚えていたり。
問題を抱えた兄弟がいて、その分自分がいい子になろうとした方もいれば、優秀な兄弟と比べられて、ずっと否定されてきた方もいます。
どの場合も、手のかからないいい子でいることが、親にがっかりされないための方法だったのかもしれません。怒られる前に相手の求めるものを読み、先回りして動く。その習慣が、大人になった今も職場で続いているのです。
「甘えだ」と責める声は、親の声かもしれない
先回りするようになった始まりには、甘えたかったのに受けとめてもらえなかった経験があることがほとんどです。
抱っこをせがんでも応えてもらえなかった。泣いたときに駆けつけてもらえなかった。描いた絵を見せに行ったら「今忙しいから」と断られた。覚えていないくらい小さな頃のことでも、子どもは「甘えるのはいけないことなんだ」と学んでいきます。
甘えずに頑張ってくれる子のほうが、忙しい親にとっては都合がよかったのかもしれません。最初にお話しした「責める親」の声は、甘えずにいてほしかった親の声と重なっているのです。
なにも虐待をされたわけじゃない。
暴力も暴言もなかった。
なのに親を怖いと思ったなんて甘えだ。
そう思う方も少なくありません。
甘えずにいてほしかった親の何気ない誉め言葉やたまたま忙しかったタイミングで話しかけたことなど、小さな積み重なりでも子どもにとっては大変なショックとなることが多いのです。
本当に怖い相手を怖いと思うのなら、自分でも納得がいきますよね。ところが、怖い相手ではないと頭でわかっていても、心や身体が怖がっている。
そんなときは、覚えていない頃の愛着の傷(3歳ぐらいまでの、親との関係での傷つき)が関わっていることがあります。だから自分では傷ついた覚えがないのに、身体が先に緊張して怖いと感じているのです。
覚えていない頃の傷つきが、大人になってどんな形で表れるのかは、愛着障害かも?と思ったら|よくある行動パターンと克服の第一歩でまとめています。
大人でも怒られそうで嘘をつくこともある
怒られるのが怖い人がつく嘘は、人をだますための嘘ではありません。わからないのに「大丈夫です」と答える、まだ終わっていないのに「進んでいます」と言ってしまう、伝えるべきことを黙っておく。そんな小さな嘘です。
怒られそうで嘘をついてしまうのは、ずるいからではなく、がっかりされる怖さから、とっさに自分を守ろうとしているからなのです。これを性格の原因だと思ったとき、ひどく傷つき自信を失ってしまいます。
質問ができない(わからないと言えない)
わからないことがあっても、「そんなこともわからないの?」と思われるのが怖くて聞けない。代わりに自分で調べ続けたり、わかったふりをして進めたり、聞くタイミングを探しているうちに、ますます聞けなくなったりします。
外から見れば、ただ一人で頑張っているように見えるかもしれません。ところが本人の中では、その間ずっと焦りが続いています。
焦りのほうが先に立つため、調べていても頭に入ってこない。自分では調べているふりをしているような感覚のまま、時間だけが過ぎていくのです。
黙る→バレるのが怖い→もっと動けない
そうしているうちに、期限が迫ってきます。
担当している仕事で、取引先にまで影響しそうなことがあるのに、どうしても言い出せない。いずれはわかってしまうと知っているからこそ、そのときに怒られる場面を想像して、さらに身体がすくみます。
パニックに近い、物事は考えられるけど、頭が真っ白になりつつある感じ。ただの緊張を越えて、自分でもコントロールできないほどの焦りに飲み込まれ、だんだん仕事に行くことすらしんどくなっていくのです。
冒頭の「なんで今まで黙ってたの?」という一言が浮かんで眠れない夜は、まさにこの輪の中にいるときなのかもしれません。
怖さの正体は、わかってもらえない孤立感
ここまでの怖さを、誰かに打ち明けられたら少しは楽になりそうですよね。ところが、話を聞いてもらえても、怖さが消えないことがあります。
上司にちゃんと話を聞いてもらえて、これから先もわからないことがあったら時間をとると約束までしてもらえた。それでもなお、スッキリした感じがつかめない。
そこまでしてもらっているのに、焦るばかりで言えない自分の緊張を感じると、もっと申し訳なくなって、もっと言えなくなっていく。
螺旋階段を滑り落ちていくような悪循環です。
怖さの正体は、自分のつらさを言葉にできず、言葉にしても上滑りして、誰にもわかってもらえないという孤立感なのです。
ただ「怖い」とだけ聞いてもらえても、その下にある気持ちが自分でもわからず、性格が原因だと思われるのも傷つくし恥ずかしい。
そう思ううちにますます孤立感が増してきて、まわりが手を差し伸べてくれても、自分でも自分のつらさをつかめていないうちは、その手がうまく届きません。
怒られる=居場所を失う恐怖
がっかりされて、役に立たないと思われたら、ここにいられなくなる。怒られるのが怖い人の心の奥では、怒られることが、居場所を失うことと結びついています。
集団の中にいたいという気持ちは、人が生まれつきもつ、とても強い欲求です。子どもにとって、その集団は家族です。親にがっかりされ、相手にされなくなることは、子どもにとっては生きていけるかどうかに関わるほどの怖さだったはずです。
人とのつながりを求める欲求については、多くの研究を見渡したうえで、人が生きていくうえでの根本的な動機のひとつだとする論文があります。
出典:Baumeister, R. F., & Leary, M. R. (1995). The need to belong: Desire for interpersonal attachments as a fundamental human motivation. Psychological Bulletin, 117(3), 497–529.(英語の論文です)
それを大人になって振り返ると、生きるかどうかなんて大げさな、とフタをしてしまいます。
しかし覚えていないほど小さなころの恐怖は、今もあなたの身体に記憶されていて、それが緊張を起こし、緊張が焦りを起こし、焦りが怖い想像ばかり引き起こしてくるのです。
職場で怒られるのが怖いのは、その頃の、居場所を失う怖さが今も続いているからなのです。
怖さを低く見積もらなくていい
だからこそ、この怖さを「たかが怒られるくらいで」と低く見積もらないことが大切です。
HSPという言葉を知って、自分の敏感さにようやく説明がついたとホッとする方もいます。
説明がつくと、部屋の光の量やカフェインのとり方、雑音への対策など、自分なりにどうしたらいいかを決められるようになる。それだけでも、怖さをやわらげる一歩になります。
ところがネット上では「レッテルを貼っているだけ」「権利として主張しすぎ」といった声に出会い、つぶされるようなつらい思いをすることもあります。
やっとつかんだ自分の説明を否定されるつらさと、ここでいう孤立感とは、親戚のようなものです。自分の怖さを、自分だけは小さく扱わずに受けとめること。それが、次の一歩の土台になります。
「気にしない」が効かないのは順番が逆だから
怒られるのが怖いときによく勧められるのは、「気にしない」「相手の感情と指摘の内容を分けて受け取る」といったやり方です。手軽で、頭ではすぐに納得できますよね。
それでも動けないのは、あなたの努力が足りないからではありません。理屈を先に立てて、そこに行動を合わせようとする順番が逆なのです。
理屈に行動を合わせても動けない
怖さに合わせて動いてしまうのは、そうせざるを得ないほど、怖さが大きいからです。そしてその怖さは、正体がわからないからこそ大きくなっています。
正体のわからないものを、理屈だけで小さくすることはできません。まず必要なのは、怖さを抑えることより、その正体を知ることなのです。
義務感で越えようとすると、予期不安が強くなる
「明日こそ言わなきゃ」「怖くてもやるしかない」と、義務感で自分を奮い立たせたことはありませんか。
やらざるを得なくてやる、という気持ちが土台にあると、かえって予期不安は強くなりがちです。怖さを越えるための一歩は、義務感からではなく、別のところから出てきます。そのお話は、もう少し先でしますね。
正しく「気にする」ことが大事
では、どうすればいいのか。「気にしない」の反対で、正しく「気にする」ことです。
まずは、怖さに気づいたら「今、怖いんだな」と認めます。そこからもう一段深く、「この怖さは何のために出てきているんだろう」「何から自分を守ろうとしてくれているんだろう」と問いかけてみてください。
「責める親」の声も、それに従う子どもも、どちらもあなたを必死に守ろうとして出てきたものです。どちらかを悪者にする必要はありません。
必死にあなたを守ろうとするあまり、責める親は過干渉気味になり、子どもはその親が正しいと思って、子どもなりに従い続けている。その二人を、舞台の上の俳優さんを客席から眺めるように、外から見てみてください。どんな感想が浮かぶでしょうか。
それでもうるさいから、どこかへ行ってほしい。そう感じたとしても、それはそれでかまいません。外から眺めた時点で、怖いのは不快だからすぐに消さなければいけない、というところへは行かずに済むのです。
でももし、それなりに事情があって頑張っていた自分と受け取れた時、身体のどこかが軽くなる感覚があるかもしれません。
この感覚が、身体の記憶にアクセスをしているとき。覚えていないほど遠い記憶が、今の自分によって寄り添われ、解放されていく一歩になります。
自分の状態を知ると、責める以外の道が見える
外から眺めることができたら、今度はその怖さに、そっと声をかけてみます。自分の状態を知ると、「また空気を読み違えた」と責める以外の発想が、少しずつ出てくるようになるからです。
「怖かったんだね」と声をかけることから
最初は、「怖かったんだね」と自分に声をかけるくらいの軽い形でかまいません。
ただ、怖さの存在を認めようとすると、やっぱりブレーキをかけようとする自分も出てきます。「こんなことで怖がっている場合じゃない」という声と、少し認められて軽くなった感じとが、綱引きを始めるのです。
この綱引きを、いきなりスッキリさせようとしなくて大丈夫です。何度もその引っぱり合いを感じているうちに、少しずつ、怖さが正体不明のものではなくなっていきます。
目の前の上司を、過去と重ねずに見られる
上司のため息や、あきれたような表情に、「空気を読み違えて話しかけてしまった」と自分を責めていた方がいました。
それが親の様子と重なっていたと気づいたとき、その方の中に、ちょっと期待に似た意外性が出てきました。この上司は、親と同じ意味でため息をついていたとは限らない、と。
怖さの正体がわかると、目の前の人をちゃんと観察できるようになります。過去に汚されていない視界で、今の相手を見られるようになるのです。
すると、ただの言い聞かせではなく、上司の気持ちへの悪い想像がすべて真実のように思っていた感覚が薄れていくのです。
勇気や慣れより先に、本当はどうしたかったかが見えてくる
怒られる怖さを越えるには、勇気を出して頑張る、小さな成功体験を積んで慣れていく。そうした答えをよく目にしますよね。
けれど、怖さが動き出す元は、慣れよりも先にあります。自分を理解して怖さがやわらぐと、本当はどうしたかったかが、自然と見えてくるのです。
あなたはどうしたいかがわからないのではなく、恐怖によってそんなことを考えている場合じゃないと無意識に判断していたのです。
「慣れればいい」で自分を責めなくていい
慣れることばかりを頼りにすると、慣れられない自分がまた責めの対象になります。勇気を出せない、成功体験を積めない、だから自分はダメなんだ、と。
それでは、あなたを責める声がもう一つ増えるだけです。慣れられないのは、あなたの努力不足ではありません。
怖さをどけると、本当に進めたかったことが見えてくる
本当はどうしたかったかは、頭で考えてひねり出すものではありません。本当はもう思っているのに、怖さで見えなくなっているだけなのです。
手がかりは、抑えてきた「こんなことを言いたかった」「言ってもらいたかった」「やってみたかった」の中にあります。ただし、それをすぐにやろうとするのではなく、そこから何を得たかったのかを見てみます。
たとえば子どもの頃、遊びに行きたいと言いたかった。それは何かに興味があって追いかけてみたかったのかもしれないし、友だちという居場所がほしかったのかもしれません。
職場でも同じです。わからないことを、ただ解決したかったのではなかった。人と協力して進めたかった、一人でやれるだけやってみたかった。怖さをモチベーションにしたものではない、本当に進めたいスタンスが見えてきます。
スタンスが見えて初めて、人と一緒に物事を進めることが、批判されることを前提にせず、自然にできるようになっていきます。そこがスムーズに進むようになった状態こそが、怖さがなくなった、ということなのです。
諦めてきた願いに触れて、イラッとしたら
ここまで読んで、「そんなことができたら苦労しない」と、なんだかイラッとしたかもしれません。
長いあいだ諦めてきた願いに触れられると、その通りに動けと言われたように感じて、怒りが出てくることがあります。
でも、動けと言っているわけではありません。思い出すだけでいいのです。イラッとしたなら、それだけ大事にしてきた願いがあった、ということかもしれません。
そしてその怒りすらも、これ以上、無意味に挑戦して傷つかないでほしいという、過去の自分からの切実な願いなのです。
気持ちに触れたときに出てくる怒りについては、人間関係に疲れたあなたの本当の我慢とはでも書いています。
怖さを一人で抱えたままにしないために
外から眺めて、「怖かったんだね」と声をかける。頭ではわかっても、一人でやっていると、気づけばまた責める親の声に引き戻されていることもありますよね。
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従う子どもも、本当はこうしたかった自由な子どもも、ぬいぐるみやクッションを抱きしめながら話を聞いてあげられるようになる。そんなセルフカウンセリングを、1日ひとつずつ身につけていく7日間です。毎日18時にメールで届き、登録はすぐに解除もできます。
明日の朝、上司のため息がまた怖くなったとき、自分を困らせていた「怖い」気持ちは、自分を守るために必死に生きてきた自分の分身だったようにみえるかもしれません。


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