こんにちは。
「自分軸を取り戻す」カウンセラーの
佐々木 康治(ささき こうじ)です。
もともと自分が嫌いで自信のなかった私が、
なぜカウンセラーになったのか。
ほんの小さな心の変化が、
大きく変化して思い寄らない未来へ
自然と連れて行ってくれた。
そんな経緯を
プロフィールにまとめてみました。
眠れない自分を責めまくる
自分自身の生きづらさに
本気で向き合ったのは
17歳のときでした。
夜、布団に入って目をつむっても、
キーンという耳鳴りがして眠れない。
「明日も朝早いし受験も近いのに
こんなこと言っていられない…。」
でも、目をしっかりつむればつむるほど、
頭がハッキリ目覚めていきます。
そのくせ、
起きるべき時間には
信じられないほど身体が重い。
そんな自分を
「朝起きられないのは甘え!」
と毎日責め続けていました。
そのうち、
一番リラックスするはずの
寝る前の時間が、
「眠れなかったらどうしよう。」
という「緊張の時間」に変わります。
眠れない症状はガマンの反動からきていた
私は幼児期からずっと、
必要以上に周りの期待に応える子供でした。
親の言うことは嫌でも絶対にきく、
友人からの「イジり」には
傷ついても自虐的な笑いで返す。
そんなやりきれない子供時代。
「この子はどこに出しても恥ずかしくない子」
母親が自慢げにいうこの言葉だけが、
自分の生きる意味だったのです。
「佐々木君はいつもおもしろい。」
友人にはこういわれていないと、
不安で不安でたまらない。
今自分が言ったコト、
変に思われていないかな…。
一瞬、相手の表情が
曇ったように見えたような…。
相手が親でも友人でも関係なく、
他人にどう映ったかが気になって、
自分のホンネを
汚いもののようにフタをしてきました。
その結果、
17歳で不眠症状が出始めたのです。
大学に行ったものの「就活」ができない
大学でも相変わらず
周りの期待に応えるために必死です。
他人から見れば、成績が良い、
友人からの評判が良い優等生。
でも本人の心はいつも空っぽ。
そんな私に、
人生最大の山場が訪れます。
就職活動が怖くてできないのです。
志望動機っていわれても、
ホンネがまったく見えないし。
自己PRって…。
自分なんかにPRポイントないし…。
学生でさえ辛い人間関係。
社会に出て耐えられるわけがない。
同級生たちが次々と就職先を決めていくなか、
社会から置いて行かれる焦りと不安、
動けない自分を責め続ける日々。
飛ぶように時間は過ぎて卒業間近の3月。
就職よりも起業してみたい、
バイトでもしながら何かを目指したい、
というホンネは置き去りに、
周囲を気にして
全然興味のない業界へ就職するのですが・・・。
たった20日で新卒入社を退職してしまう
行きたくもない会社に
焦って就職した研修中の出来事です。
とにかく周囲によく思われたくて、
必死に良い子ぶる癖が裏目にでます。
よほど鼻についたのでしょう。
10年以上勤めているパートの女性から、
「私のことバカにしてんの?」
と、社員全員の前で
思いっきり怒鳴られてしまいます。
これまで叱られる経験の少ない私は、
この叱責だけでパニックになり、
動悸と吐き気がとまらなくなります。
そのパニックが収まることがなく、
せっかく就職した会社を
たった20日で退職してしまいます。
暴れるひきこもりニートを救ったカウンセラー
新卒ブランドを失った。
もう就職できない。
たった20日で仕事を辞めたなんて、
恥ずかしくて友人にも言えない。
周囲に合わせて生きてきたのに、
自分が辛いときは誰も助けてくれない。
そんな哀しみで埋め尽くされた私は、
世の中がとても怖い場所に見えて
家から出られなくなってしまいます。
想えば小さい頃から、
やりたいことなんて何もできなかった。
僕が言うことなんて
親にとりあえず否定されて
話を聴いてもらえることもなかった。
口答えしたらすぐにビンタが飛ぶ。
これじゃあ、
調教されている動物と同じです。
成績が悪い自分は愛されず
安定して世間に恥ずかしくない自分しか
評価をしてもらえない。
だんだんと過去の親へ怒りがわいてきて
でも面と向かっては言えない。
こうして、ふすまを破るという行動で
親への不満を表し始めたのでした。
助けてほしいけど、
助けを求める勇気がない。
そんなガンジガラメの状態です。
このループを止めてくれたのが、
カウンセラーとの対話でした。
こわがって家にこもりながらも、
「このままじゃないけない。」
と思っていた私は、
ついにカウンセリングを予約します。
そこでかけられた言葉は忘れもしません。
「就職して20日間、
佐々木さんはよく頑張りましたよ。」
「むしろそれまでの人生と地続きで、
ずっとつらかったですね。」
一度も肯定されたことがない、
そう思っていた自分は、
聞いたとたん体中がしびれたように震えて、
涙がとまらなくなってしまいます。
恥ずかしいと思っていた自分に、
オッケーを出してくれる人がいる。
いつの間にか、
幼少期からの我慢の連続だったことや、
損ばかりしてきたエピソードを、
これでもかというほど話し続けました。
父には隠され続けた
母からの圧力、期待や圧力への葛藤。
親の言いなりしかなれない自分の情けなさ。
男性が興味をもって当然とされるような
スポーツ観戦や車などの興味をもてず、
いつも疎外感を抱いていたこと。
ささいなストレスが長い年月をかけて
積み上がり続け、
自信のなさを笑顔で隠しながら
内心はビクビクする自分が浮き彫りになります。
そうすると、自分がいかに頑張ってきたか、
見えなかった本音も見えてきて、
私はみるみる回復し、
社会復帰を目指して公務員になることを決意。
3年後にその夢をかなえます。
カウンセラーは
人に前へ進む力を与えてくれる。
そう思ったできごとでした。
ですが、
結局は良い子を演じた公務員時代が、
人生のドン底に落ちる
キッカケとなります。
無事に幸せになるはずだったのに…
公務員になって7年目。
人事異動によって人間関係が一変。
そこで聞こえてしまった
「仕事ができない変なヤツ」という陰口に
あっさり心が折れてしまいます。
柱の陰で聞いていた私は、
「ちょっと聞こえてますよ~!」
と笑顔で姿を現します。
不愉快だ、
というホンネもやっぱり出せない日々。
その日から少しずつ、
周囲に合わせすぎる性格に、
心身が蝕まれていきます。
上司に声をかけようとすると口が乾く。
上司の方に歩こうとすると膝がガクガク。
上司の存在が気になり過ぎてミスを連発。
慎重過ぎて仕事が遅く、上司に怒鳴られる。
仕事を聞いても嫌な顔をされ、
怖くて聞けないからトロくて怒られる。
そんな自分を「無能」だと責める。
やがて、
出勤しようとすると足が震え、
玄関で座り込んで
涙がとまらなくなります。
ほんのひとこと、
雑談でもなんでもいい。
上司とフランクに話してみたら、
こんなことにならなかったかもしれないのに。
そんな小さな勇気すら
自分の軸をもっていない当時の僕には
逃げることでしか解決ができなかった。
そのまま心療内科で
「適応障害」と診断され、
1カ月の休職になりました。
ただ、心療内科で医者かけられた言葉は、
「パニックなるっていったって、大げさに言ってるでしょ?(笑)」
「公務員なんだから1年半でもなんでも休めばよろしいやんか。」
これが決定打になり、
僕はもう誰にも助けてもらえないのだと
確信しました。
当時はまだ、hspやアダルトチルドレンといった、
診断の出ない辛さについて知識がなかったのです。
もう二度と職場に行けない。
お医者さんがおおげさっていうなら、自分は甘えだ。
とパニックになった私は
周囲の引き留めも振り払って、
公務員を退職してしまいます。
所属長には「次の就職先が決まった。」
とウソをついて強行突破したのです。
もう何もかも失った。
どうせロクに転職もできず、
30過ぎて無職なんて人に言えない。
人間関係のトラウマから
アルバイトすらできず、
両親にさえ悩みを言えずに
ひとりぼっちのひきこもりになります。
当然、周囲にも無職などと言えず、
普段通り遊びに誘ってくれる友人たちとも
金銭が苦しくて疎遠になり、
すべてを捨ててひきこもり続けます。
真のどん底から救ってくれたカウンセリング
減り続ける貯金、増え続ける不安。
社会に適応できない自分を責める毎日。
いつになったら「普通」になれるの?
このままじゃ同じことの繰り返し。
そう思い、
再びカウンセリングを受けました。
そこでカウンセラーに、
「やりたいと自然に思えることを
やれる人生に変えていきましょう。」
「今までのガマンがあれば、
ダウンするのも当然ですよ。」
「本当によく頑張って
こられましたね。」
と言われ、
また涙があふれてきます。
そこから数々の対話、
セラピーを繰り返すことで、
「ねばならない思考」がゆるまってきます。
仕事ができねばならない。
明るい自分であらねばならない。
正社員であらねばならない。
「普通」であらねばならない。
こういった、
過剰に周囲を気にしたり
自分を責めすぎる
ストレスを手放すことで、
大嫌いだった自分を好きになり、
自分の意思を軸にした人生へ
変化していきました。
やがて仕事をホンネで決めることができ、
働けば働くほど目が生き生き輝いてくる、
不思議な力が湧き始めたのです。
これが最初に受けた
カウンセリングとの大きな違い。
心を癒すだけにとどまらず、
現実社会に対応できるバランス感覚を
身につけさせてくれたのです。
ただし、
急激な変化にとまどい、
不安や脱力感に襲われる時期もありました。
変化が早かったぶん、
急に全力疾走をしたときのように、
心と身体が追いついていなかったのです。
そこで私は、
3日坊主では終わらない
ゆったりとした変化を中心とした
心理療法を習得します。
その結果、
最終的にはカウンセラーなしで
適応障害の症状を
克服できるようになったのです。
それと同時に、
両親も当時は必死だったのだ
友達も本当は何でも話してほしかったかもしれない
当時の上司も、自分で手一杯だったのかも
とようやく周囲の気持ち、親の愛情に気づくことができ、
今までの怒りや憎しみがぜんぶ、
さわやかな愛情へと変わっていったのです。
そしてこの経験を活かしてカウンセリングをするうち、
長年憎んでいた親の愛情に気づけたり、
親と直接お話をして、亡くなる直前に分かり合えたり、
やめるしかないと思っていた仕事が楽しくなったり
数え切れない奇跡的な回復を目撃してきました。
できる限り短期間でかつ反動が少ない
バランスのとれた
自分軸を取り戻すカウンセリングを行っています。
優しい気持ちで自分と向き合ううちに、
いつの間にか自分を大好きになれる。
大好きな自分を軸にホンネで生きるから、
本来の力をおおらかに活かせる。
最初はガマンばかりしていた相談者の方が、
目を輝かせていく様子を喜びながら、
日々カウンセリングに取り組んでいます。
いい具合に脱力した頑張らない人生へ
いくら自分軸で生きるといっても、
ただ思いついたことをやるだけでは
大きな成果はでません。
過去の私のように、
不安で動けなくなったり、
イライラしてしまったり、
一人で頑張るには限界があるのです。
これを読んでくださっている
あなたはきっと、
人の意見に合わせるタフさがある、
だからいつも損ばかりしてしまう
そんな生活を
送られているのではないでしょうか。
私は自分軸を取り戻し、
ポテンシャルを引き出していくプロとして、
あなたの生きづらさを
大きなエネルギーに変える
お手伝いをしたいと思っています。
我慢の連続で生きづらさを抱える人が、
エネルギーいっぱいに
目をキラキラさせて仕事に励み、
人生が楽しいものに変わっていく。
今の私にとって、
こうした相談者の方の変化が、
このうえない喜びとなっています。
今度はあなたがこうした変化を
一緒に体験してみませんか?
次はカウンセリングで、
あなたとたくさんのお話ができるのを、
心から楽しみにしていますね。
長いプロフィールを最後までお読みいただき、
本当にありがとうございました。
自分軸を取り戻すカウンセリング 佐々木 康治