頑張って積み上げてきたものが、ふっとした一言や、予想もしていなかった出来事で崩れてしまう。そんな経験を何度も重ねてきた方の中には、「物事は積み上がっていくものだ」と信じることができない人がいます。
「自分は気が弱いから」「自分をイライラさせる相手が悪いから」と、原因を性格や誰かのせいにして納得しようとする。
でも頭の中ではどれだけ「大丈夫」「安心していい」と思っていても、体はずっと緊張したまま。
そのギャップに苦しみ、最後には「やっぱりできない自分が悪いんだ」と結論づけてしまう。
そう思われる方は、もしかすると発達性トラウマによって基本的信頼感が育つ機会を持てなかったのかもしれません。
この記事では、なぜそうなるのか、そして開き直りではなく「自分のせいじゃなかった」と認めることで、体の緊張がどう変わっていくのかをお伝えします。
目次
なぜ発達性トラウマがあると基本的信頼感が育ちにくいのか
理不尽な経験が「積み上げても崩れる」という感覚を作る
基本的信頼感とは、簡単に言うと「この世界は、基本的には安心できる場所だ」という土台の感覚のことです。自分が楽しく遊んでいる様子を見て「当たり前に」喜んでくれる誰かがいる、つらいことがあれば「当たり前に」一緒に考えてくれる誰かがいる。ケンカや叱責があっても「当たり前に」仲直りできて絆が深まっていく。
理屈抜きで、かならず自分のほかの誰かが見守ってくれる感覚があり、実際に基本的信頼感がある人にとっては違和感すらありません。だから基本的信頼感について考えることすらないのです。
本来は、幼少期に「困ったら助けてもらえる」「自分の存在は尊重される」という経験を積み重ねることで、自然に育っていくもの。
でも親自身が未成熟で不安定な情緒を持っている場合はどうでしょう。楽しく遊ぶわが子を見て「私ばかり忙しいのにこの子は遊んでいる」と心のどこかで思ってしまう。そこに悪気がなくても自然に笑うことができなくなり、無意識に罪悪感が重なり、それを打ち消すために厳しく、もしくは冷たく接してしまい、さらにその罪悪感が強まるループにいます。
親の背景を知ることができない子どもにしてみては、それは理不尽な目にあっているのと同じです。しかし、おもに3歳前後の子どもは、親の不機嫌を自分のせいだと先にとらえてしまいます。それこそ理屈抜きで。
すると心のままに動いて感情が表れても、先に親の機嫌をクリアしているかの緊張が先走り、見守りではく「監視」におびえる無意識が常に働くようになり、そこに違和感すらもたなくなります。この監視によって、自分の気持ちを自分でかなえられる感覚や、他者はたとえケンカをしてもわかりあえる、という土台が育つ前に、「頑張って積み上げたものが、予期しない力で簡単に崩される」という経験を重ねてしまうのです。
機嫌や都合で態度を変えられる。
自分だけがいつも割を食う。
こうした経験が繰り返されると、「物事は積み上がっていく」という感覚そのものが、心の中に育つ余地を失ってしまうのです。
これが発達性トラウマと呼ばれる状態の、大きな特徴の一つです。
頭ではわかっていても体が緊張したままになる仕組み
ここで多くの方がつらいのは、「頭ではわかっているのに、身体がそう思えない」というギャップです。
頭の中の「大人のあなた」は、「もう安全だ」「今は理不尽な相手はいない」とわかっています。
ところが、体の奥に残っている幼い頃のあなた(インナーチャイルドや、いわゆる3歳児のような存在)は、まだ「いつまた理不尽なことが起こるかわからない」という警戒状態のままなのです。
これは、真冬の山で遭難して「寝たら死んでしまう」と思い込んでいる状態に近いかもしれません。寝ることだけが唯一、ありのままでいられる自分の状態。それすら監視されていると感じれば、頭で自分の意志通りに動こうとしても、気づかない緊張感でうまく感情を行動に移すことができません。また、意思や感情すら自分のものなのにわからない感覚になることも多いです。
頭では「もう助けが来る」とわかっていても、身体は警戒を解くことができない。むしろその助けもまた、裏切られるかもしれなくて不安なる、攻撃や回避することすらある。
この自己矛盾こそが、「頭ではわかっているのに、なぜか緊張が抜けない」という状態の正体です。
「性格が弱い」「相手が悪い」と思ってしまう自分を責めなくていい理由
それは性格の問題ではなく、過去への適応です
基本的信頼感の欠如に気づいていないと、このギャップにどう説明をつけたらいいのかわからず、つい自分や誰かのせいにして納得しようとしてしまいます。きっと成果は奪われる、喜ばれるわけがない、邪魔される。こうした裏切りへの警戒感を身体レベルのトラウマだと気づくことができず、自分もしくはの他者の性格に原因を求めてしまうのです。
「自分は性格的に気が弱いから」
「自分をイライラさせてくる、あの人が悪いんだ」
どちらも、一見もっともらしい説明に思えます。こうして納得することで、自分や他者を変えようと過剰な努力、いわゆる「過剰適応」の状態へ陥ります。※過剰適応について別記事で解説しています。
ですが実際には、これは性格の欠陥でも、誰かが完全に悪いという単純な話でもありません。
積み上がるはずだったものが、何度も理不尽に壊されてきた。
その経験への、ごく自然な適応の結果として、身体が警戒を解けなくなっているだけなのです。
自分を責めることで、一時的に安心していた可能性
不思議なことですが、「自分が悪い」と決めてしまうことには、ひとつだけメリットがあります。
理不尽な出来事の理由が「わからないまま」になることのほうが、実は人にとって怖いことなのです。
「自分が悪い」と理由を作ってしまえば、少なくとも「なぜ起きたのか」が説明できる状態にはなります。そして努力目標ができ、一時的に自己啓発や心理学の知識によって安心を得られますが、身体レベルの記憶に頭の記憶で対抗しようとしても、やがて効果は薄れてしまいます。積み重ねてきた年月に差があり過ぎるので当然です。
つまり、自分を責めることは、わからなさへの不安をいったん落ち着けるための、苦しいけれど精一杯の工夫だったとも言えるのです。それを「努力不足な自分はダメ」「ほかの人より劣っている」とさらに責めることで、ますます悪循環へとつながっていきます。
ここまで読んでくれているあなたは、それだけ長い間、自分なりに状況を理解しようと頑張ってきた人なのだと思います。
基本的信頼感は、誰かと深く親密になることで育つわけではない
鍵は「自分の意思を尊重しても何も起こらない」という確認
ここからが、この記事で一番お伝えしたいことです。
基本的信頼感というと、「誰かと深く、親しい関係を築くこと」だとイメージされる方が多いかもしれません。
ですが、愛着にキズがある方にとって、対人不安が大きく疲弊したり、回避傾向が強くて最初から親密になれる気がしなかったりで、他者とのかかわりに手詰まり感をいただく方も多くいらっしゃいます。
実はもっと土台になるのは、「自分の意思を尊重しても、嫌なことは起こらない」という確認を、自分自身に対して積み重ねていくことなのです。
誰かに深く理解されることよりも先に、「自分が、自分の意思を尊重しても大丈夫だった」という小さな実績を、自分の中に増やしていく。
これが、基本的信頼感が少しずつ育っていく、もっとも現実的な道筋です。そのためには、実はかなりガマンしている自分を日常で発見することから始まります。
小さなワーク:誰の許可もいらないレベルの意思から試す
いきなり大きな自己主張をする必要はありません。むしろ、それは緊張を強めてしまいます。
次のように、ごく小さなステップから試してみてください。
- ステップ1:今、自分が何をしたいかを、ひとつだけ言葉にしてみる(例:「ちょっと水を飲みたいな」)ここでのポイントが、当たり前にノドの渇きを無視していたり、おいしいから飲むという行動を長らくしていなかった自分に気が付くことです。生理的に必要だから飲むことしかしていなかった自分がいると気づくことが最初の一歩です。
- ステップ2:それを実際にやってみる
- ステップ3:やってみたあとに、「何も悪いことは起こらなかった」と、はっきり確認する。ここできっと、甘いものを飲んだから太る、身体に悪い、仕事が遅れたなど、思わず自分を責めるような、もしくは漠然として罪悪感や落ち着かなさ、「こんなことして何になるの?」といった自分への冷たさに気づくかもしれません。これが幼少期に感じていた「監視」の正体です。あえて戦わず、ちゃんと驚いてください。身体記憶の強烈さをよく理解することで、脳が変化を察知し始めます。
- ステップ4:この小さな確認を、日常の中で何度も繰り返してみる。
ポイントは、誰の許可もいらないレベルの、ごく小さな意思から始めることです。自分だけがわかる、自分だけのサイン。これがまず、自分と秘密の約束をするような、自分との親密さにつながります。
これは決して特別なことではなく、ごく小さな確認の積み重ねが、身体に残った警戒を少しずつ緩めていく材料になるのです。
うまくいかないと感じたときがチャンス
このワークを試してみても、すぐに緊張が消えるわけではありません。むしろ、意味がなくてやめたい感覚がでることもあるでしょう。その感覚が「過剰適応」の正体で、ちょっとした気持ちの報酬すら怖くて手を出せなかった自分との出会いです。
可能であれば「そこまで報酬が怖かったんだね。生理的に必要なこと以外、認められなかったんだね」などと話しかけてみてください。身体のこわばりが少しやわらぐか、逆に余計に警戒するか、様々な反応がでるはずです。逆に固まって何も感じないとき、それがあなたの防衛行動で、「マヒを選んできたんだね」と心の中で思いながら、無理に解こうとせず、繰り返し小さな行動を積み上げます。
長い時間をかけて作られてきた警戒は、一度や二度の確認で解けるものではないからです。
また、これは自分が悪いのではないという開き直りではありません。
「自分のせいじゃなかった」と認めることは、誰かを責めて終わりにすることでも、何もしなくていいと言っているわけでもなく、緊張を緩めるための、ひとつの入り口にすぎません。ただただ客観的に、科学的に、脳が防衛を学んだ結果である、とクールに見つめることで緊張を解き、抑圧された感情と向き合うのその次のステップなのです。
うまくいかない日があっても、それも自然なことだと思って、どうぞ自分を急かさないでください。
まとめ
発達性トラウマがあると、理不尽な経験の積み重ねによって基本的信頼感が育つ前に、体だけが警戒を続けてしまう状態になりやすくなります。
頭ではわかっていても体が緊張してしまうのは、性格の弱さでも、誰かのせいだけでもなく、過去への自然な適応の結果です。
そして基本的信頼感は、誰かと深く親しくなることよりも先に、「自分の意思を尊重しても、何も起こらない」という小さな確認を自分自身に積み重ねていくことから育っていきます。
まずは、ごく小さな意思を一つ、自分に許してみることから始めてみませんか。
ですが、一人で取り組むのが難しいと感じる方や、もっと深く自分の状態を理解したいと思われる方もいらっしゃるかと思います。
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どうかあなたが自分を信頼し、周囲を信頼し始める一歩となりますように。


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