「自分は虐待を受けたわけでもないのに、なぜかアダルトチルドレンや愛着障害に当てはまる行動や考え方をしてしまう」。
そんな自己矛盾に苦しんでいる方は、決して少なくありません。
トラウマというと、虐待や事故、災害のような大きな出来事によるものを思い浮かべる方が多いかもしれません。
ですが、それとは別に、発達性トラウマとは何かを知ることで、この自己矛盾に一つの説明がつくことがあります。
この記事では、発達性トラウマとはどういうものか、そしてそれが大人になってからどんな不適応として現れるのかをお伝えします。
目次
発達性トラウマとはどのようなものか
まだ正式な診断基準としては採用されていない概念
最初にお伝えしておきたいのですが、発達性トラウマは、現時点では正式な診断基準として採用されているものではありません。
ですが、子供時代に負ったトラウマのうち、日常的で慢性的なストレスによって引き起こされる、行動や考え方の不適応を指す考え方として、とても役に立つ視点です。
「大きな出来事」によるトラウマとは分けて考える
発達性トラウマは、虐待や暴力といった大きな出来事によるトラウマとは、あえて分けて考えます。
もちろん、大きな出来事によるトラウマも、当然ケアされるべきものです。
ですが発達性トラウマが指しているのは、もっと静かで、見えにくいものです。
長い時間、自分の意思のままでいていい感覚を、知らないうちに抑え続けてしまっていたケース。たとえば何の悪気なしに遊んでいて、誰かが傷ついたもしくは怒られた。このような些細なことでもトラウマになりえます。
知った人が子供にとっての親のように重要な存在であるとき、「心の赴くままに遊ぶことをやめないとどうやら自分を愛してもらえないらしい」と決断してしまいます。叱責のすべてが悪いわけでなく。アフターフォローがなかったり、言葉での説明ではなく、信頼関係なしに叩く、怒鳴るなどの恐怖で抑えられた場合です。
子供にとっては叱責を評価するほどの判断力がないため、基本的に自分が悪いというメッセージだけを受け取り、もう無邪気に遊ばない、その決断がベストだと子供心に思った場合、やがて遊ぶことそのものを悪いことだと考えるようになり、大人になっても自由にくつろげなかったり。誰かと一緒に居ることを。頭は楽しいはずなのに身体が苦痛を感じて、どっと疲れてしまったりするのです。
これが、発達性トラウマの核にあるものです。
自己矛盾に、一つの説明を与えてくれる考え方
「自分は虐待を受けたわけではないのに、なぜACや愛着障害に当てはまるんだろう」と悩んでいる方にとって、発達性トラウマという考え方は、とてもわかりやすい補助線になります。自分が「これくらいは大丈夫」と低く見積もっていたストレスも、実はちゃんと自分に影響を及ぼしていたと知ることができるからです。
たとえば、安心安全感や基本的信頼感の欠如に悩む方の多くは、特別大きな事件を経験したわけではなく、日常の中で自分の意思を出しても良い、という感覚を積み重ねる機会を、知らないうちに奪われてきたケースなのです。
このことを知ると、むやみに自分を責めることなく、落ち着いた気持ちで自分と向き合うことができるようになります。そして、その落ち着きこそが、トラウマ解消の最初の一歩になるのです。
発達性トラウマが引き起こす、大人になってからの不適応
発達性トラウマは、大人になってからさまざまな不適応として現れることがあります。
ここでは、代表的なものをいくつかのグループに分けてご紹介します。
緊張・適応のかたちとして現れるもの
過緊張
常に体が張りつめている状態です。たとえるなら、台風が来るかもしれないからといって、晴れの日もずっと雨戸を閉めたままにしている家のようなものです。実際には今日は晴れているのに、雨戸を開ける発想そのものが出てこないのです。
親子関係で言えば、普段は特に問題がないのに、突然親が不機嫌になったり、ある特定の話題のときだけひどく叱責されたりするようなケースが挙げられます。何が地雷になるのかがわからないまま育つと、自分が思ったままの気持ちを親に表明することができなくなり、常に身構えていなければならなくなるのです。
過剰適応
周囲に合わせすぎてしまう状態です。
自分の天気予報より、先に相手の天気予報を確認してから服を選ぶような感覚に近いかもしれません。自分が今日どう過ごしたいかより、相手がどう感じるかが先に来てしまうのです。一見すれば社会的に望ましいことなのですが。本当は言葉にしたかったことを黙った時に、良い子だ。とほめられてしまうような時、自分の苦痛が褒められることで、自分がやりたいことが悪いことと。感じて、過剰適応が強まることもあるのです。叱責などで怖い思いをする以外にも、親にとってだけ都合のいい場面で褒められることが重なっても、発達性トラウマの反応がでやすくなってしまいます。
過覚醒
常に警戒モードが続いている状態です。ソワソワとして落ち着かず、自分でやろうと決めたことですら、落ち着いて取り組むことができなくなってしまいます。そのため、コツコツと積み上げるような人生を送れず、み上げるような人生を送れず、仕事でミスが生じやすかったり、パフォーマンスが向上しづらかったりもします。本人は自分の能力が低くて同じミスを繰り返すのだと落ち込んでしまい、周りからもそのように誤解されて、過覚醒状態に気づけないことが多いのです。そのため、別の努力で自分を向上させようとしても。それもまた落ち着いて取り組むことができず、自分は何もできないんだと、自己効力感を下げてしまう場面が多くなります。
本来の能力の低下
緊張や警戒にエネルギーを使い、力が発揮できない状態です。
エンジンの大半を見張り役に使ってしまい、走るための力がほとんど残っていない車を想像してみてください。エンジンそのものは壊れていないのに、本来のスピードが出せないのです。
安心・信頼にまつわるもの
安心安全感・基本的信頼感の欠如
「この世界は基本的には安心できる場所だ」という土台が育っていない状態です。
地盤がゆるんだ土地に建てられた家のようなもので、見た目はしっかりした建物でも、一度壊れてしまうと元に戻らない不安で、足元が常に不安定に感じられるのです。そのため。ただの意見のぶつかり合いが人とあったとしても。感情を割り切ることができず。相手が自分のどちらかが悪いから変わるべきか、それができないなら決裂するしかないという、非常に強い緊張感のなかで対人関係を過ごすことになります。
決裂することが後述する見捨てられ不安とつながると、意見の相違が怖いことと認識するため、人間関係全般に対して安心感や信頼感が持てず、率直に自分の気持ちや意見を表明しづらくなり、対人関係がうまくいきづらくなるのです。
見捨てられ不安
いつ関係が切られるかわからないという不安です。自分自身の気持ちを。抑えすぎていて。一人で立っている実感がないため。誰かに見捨てられると。 Okina穴に落とされて、どこまでも墜ちていくような。不安を感じてしまいます。その不安から逃れるために。やけ**に自分を否定したり、卑下したり。お酒に手が伸びてしまったり。強い不安を怒りに変えて、信頼できる相手にぶつけたり。行動に冷静さがなくなり。不安に比例して。相手に対する言葉数や行動が起きた事柄に比べて大きくなります。
突然の退職や引っ越し等のリセット癖、ふられるぐらいなら先にふってやる恋愛、拒絶される前に断ち切る友人など、見捨てられるという認識がないことにも極端な行動として現れることがあります。
見捨てられ不安は記憶がないほど幼く無力な時代(2歳前後ともいわれます)に、自分の訴えに養育者が応えてくれない不安が増大して怒りや大声につながったケースが多いとも言われますし、もともと生来的に不安に敏感なケースもあり、さらにそこに物心をついて以降の経験も加わるため、一言で「私が悪い」といえる問題ではないのです。
いつ電気が消されるかわからない部屋で過ごしているような落ち着かなさだと言えます。今は明るくても、その明るさを信じきれないのです。これらが対人恐怖へとつながることもあり、最初から恐怖を感じたくない場合には親密になりそうになると拒絶してしまう「親密性回避」へつながることもあります。
親密性の回避
人と深く近づくことを避けてしまう傾向です。本当は繋がりたいけれど、つながった後の裏切りを感じるくらいなら最初からつながらない、でもつながりたい。とても混乱した状態です。
暖炉のそばで、暖まりたい気持ちはあるのに、やけどを恐れて手を伸ばしきれないような状態です。近づきたい気持ちと、近づくことへの恐れが同時にあるのです。
自分自身との関係に現れるもの
自責感
何かあると、まず自分を責めてしまう傾向です。
誰も悪くない出来事が起きたときに、真っ先に自分が手を挙げて「すみません」と言ってしまうクセに近いものです。頭だけで考えれば、原因がわからない不安より、自分が悪いという結論のほうが、いったん落ち着けるからという説もありますが、私はそれよりも深く捉える目線が必要と感じます。つまり基本的信頼感とは逆に、基本的に罪悪感を持ち続けてしまうのです。
未成熟な子供にって絶対の存在である親が、悲しんだり怒ったりしているのを見ると、自分が悪いケースでなくても一度「自分が悪い子だからお母さんは苦しいんだ」と考えることが多くあります。仕事の理由で保育園に預けられても、頭でそう理解しても心が勝手に罪悪感をもってしまうのです。そのため、アフターケアがないまま罪悪感を放置してしまったとき、自分が何も悪くなくても、常に悪いような気がしてしまう。これを大人まで引きずってしまうことがあります。
世界の捉え方や感覚に現れるもの
ねじれた複雑な世界観
世界をシンプルに信じることが難しい状態です。
まっすぐな一本道があるのに、わざわざ入り組んだ迷路の地図のほうを正しいと思い込んでいるような状態です。理不尽な経験が多いほど、単純な道を信じにくくなり、誰かの悪意が自分に向いているような「気がして」、嫌な出来事強く覚え、よかったことを無意識に忘れがちになってしまいます。
境界線のあいまいさ
自分と他人の境目がわかりにくい状態です。他人の痛みが、自分の痛みのように感じられすぎて。自己犠牲をしてでも尽くしてしまったり、逆に近しくなった相手に自分の気持ちをわかってもらえていないと感じると、強い怒りがわいてきたりします。
理想主義
これさえあれば(なければ)確実に幸せになれるという感覚です。こういう恋人さえいれば絶対に幸せだというように。
理不尽な思いをたくさんしてきた人ほど、小さな交流の温かさや面白さを感じにくくなってしまいます。今までの自分の我慢にそんなものは釣り合わないという感覚が生まれた場合です。
常にもっと良い人生があるような気がしてきて、そんな自分にも嫌気がさしつつもどうしても窮屈になる。やがて別の刺激を求めることを繰り返したり。相手にも自分にも多くを求めて怒りがとまらなくなることもあります。
社会のルールの分かりにくさ
周囲が当然のように知っている暗黙のルールが、自分にはわかりにくい状態です。
周りはなんとなく共有しているローカルルールを、自分だけ説明書を渡されないまま参加させられているような心もとなさです。
時間と本音にまつわるもの
時間の主権を奪われる感覚
常に焦燥感がある状態です。
自分の時計ではなく、誰かの目覚まし時計に合わせてずっと行動しているような感覚で、いつまでも自分のペースで時間を使えている気がしないのです。
自分の本音が分かりにくい
自分が本当はどう思っているのか、自分でもつかみにくい状態です。
ラベルの貼られていない冷蔵庫の中身のように、開けてみないと自分でも何が入っているかわからないのです。
イメージや言語化の難しさ
気持ちや考えを、イメージや言葉にすることが難しい状態です。
写真はちゃんと撮れているのに、現像する暗室の鍵をどこかに置き忘れてしまったような感覚に近いかもしれません。
これだけ並べると驚かれるかもしれませんが、一つでも当てはまるからといって、何かおかしいわけではありません。
むしろ、これだけ多くの形で現れるからこそ、「性格の問題」だと誤解されやすいのです。
気づくことが、トラウマ解消の第一歩になる
発達性トラウマという考え方の一番の価値は、「自分が低く見積もっていたストレスも、ちゃんと自分に影響している」と知れることです。
それを知らないままだと、不適応の原因を「自分の性格」や「自分の弱さ」のせいにしてしまいがちです。
でも実際には、それは長い時間をかけて積み重なった、ごく自然な適応の結果なのです。
そう理解できたとき、初めて、自分を責めずに、落ち着いた気持ちで向き合うことができるようになります。
そしてこの落ち着きこそが、トラウマを少しずつ解消していくための、確かな一歩になります。
まとめ
発達性トラウマとは、虐待のような大きな出来事ではなく、日常的で慢性的なストレスによって、自分の意思を抑え続けてしまうことから生まれる不適応を指す考え方です。正式な診断基準ではありませんが、「虐待を受けていないのに、ACや愛着障害に当てはまる」という自己矛盾に苦しむ方にとって、自分を責めずに向き合うための、わかりやすい補助線になります。
過緊張や基本的信頼感の欠如、自責感、本音の分かりにくさなど、現れ方は人によってさまざまです。まずは、自分にも当てはまるものがあるかもしれない、と気づくことから始めてみてください。
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