不安型愛着障がいに当てはまる方にとって、もっとも恐ろしいのは嫌われ不安からくる見捨てられる恐怖だと、セッションを通じて感じます。
教科書なんかでは説明できないほど、というか当人は恐怖を感じている最中は頭が真っ白で、弁解をしたり攻撃的になったり、過度に依存したりして必死です。恐怖がわきあがるのはたいてい行動をした後なんですよね。
そこからもっと恐ろしい罪悪感、もしくは自己嫌悪がでてきて、人間関係リセットに繋がったり、嘔吐、過食や深酒といった形で、抱えきれないストレスを処理しようとしてしまいます。
お酒や食事などの自分に対するものではないときは、過度に他人に依存(連絡をしまくったり試し行動をしたり)した態度をとり、またさらに不安になるというループもあります。
ハッキリいって、この状態は地獄です。
私自身が恋人に依存することもあれば、お酒にも過食にも走ったことがあり、克服後もしばらく元の状態に戻るのではないかという恐怖には一人では立ち向かえませんでした。
ここまで読んでみて、「自分もそうだ。」と思われる方に向けて、まずは応急措置になるような記事を書きたいと思います。
不安型愛着障害の全体像と克服プロセスはこの記事で詳しく書いています。
目次
そもそもあなたが悪いという考えを捨ててください
極度の不安、嫌われたり見捨てられる恐怖は、あなたのせいではありません。環境がそうさせた、と言い換えることができます。
もちろんhspみたいに生まれつき不安を感じやすい人もいますが、それにしても友人、恋人、家族などの存在が(実際にそばにいなくても)心のなかで充足感を与えてくれる限り、極度な不安にはなりにくいのです。
そもそもあなたが悪いか、という問題ではなく、本来は感じなくてもいい不安を、無理やりに感じるべきだと学んだ経験があり、それを繰り返すうちに癖になっている状態です。
ここで愛着障害のケースを考えると、赤ちゃんのときに不安がって泣いたときにはお母さんがきてくれて満足したようなとき、あなたは「不安がるほうが愛情をもらえるのだ」と学んだと言えます。
ただ、これは子供時代にさかのぼらないと不安がなくならないとか、親が悪いから責めればいいとか、そういう問題ではありません。親だけではなく、もともとの不安がる性質や親せき、保育所等での他人とのかかわりなど、原因が一つに特定できるわけじゃないからです。
また、赤ちゃんにとっては母親という養育者が命を左右する唯一の存在と言えるために、母子の愛情にフォーカスされますが、大人になった今、母親以外とのつながりでも愛着は復活します。
つまり、今からでも愛着障害の不安は和らげることができ、あなたの性格が悪いなんてことはあり得ないということです。
環境にコントロールされたという考え
親のせいにしてもいいし、しなくてもいい
カウンセリングの現場では、頑張って母親のせいにしよう、という心の動きがみられます。あえて母親を憎もうとして、「そこまで憎いわけじゃない」「時間は戻せない、人生を返せ!」と心が葛藤を起こすケースもあるのです。
一方で、明確に嫌なことをされた記憶があり、憎しみが消えずに苦しい人の場合、「親を憎しむとは何事だ!」という他者の目が自分の本心を抑えつけ、いうに言えない、もしくはTwitterやYouTubeのコメント欄だけでしか毒づけない方もいらっしゃいます。
ほんとにね、相談者様でこういったケースを見ると、悲しいくらい辛くなる葛藤状態です。
大事なことは、過去や周囲の人がどうこうではなく、今あなたが率直に思うことを丁寧に洗い出すことです。「親のせいでこうなった!」と思ってスッキリ納得ができるのなら、だれがどういおうと、ネットに「親のせいにばかりするな」と書いてあろうと、あなたの主観だけが一番大事ですし、寄り添われるべきです。
あなたの本当の気持ちは大切にされていいのです。
でも、たとえば8割憎い、2割は仲良くしたい気持ちもあるとき、「人のせいにばかりして進めない自分が嫌いだけど親だって悪いはずだし」という前にも後ろにも進めない、辛い葛藤が始まります。
だからあえてもう一度言います。
誰かのせいにしてもいい。そして、誰のせいにもしたくないならあなたのせいにすらしなくていい。
今のあなたの苦しみは、まだ判断する力が未熟だった小さなあなたが、生きるか死ぬかギリギリの選択で決断した「不安を大きく感じるようにする。」「他者を攻撃する」「自分を攻撃する」といったもので、そうせざるを得なかった現実に、こころから寄り添ってあげる時間が必要なのです。
寂しさを悪者にしないでいいよ
寂しいから誰かといたくて縛り付ける人を、世間では依存心が強い人として、うざったい人の典型例のようにはやしたてます。これが行き過ぎてしまって、寂しいという感情を口に出すことはおろか、感じることすらも禁止する方が増えています。
不安型の愛着を持つ方にとって、寂しいという感情は心がかなり無理をしているサインなのに、それを悪者にして抑えつけてしまうと、攻撃性が増してしまいます。
「依存心が強い自分はダメだ。」「依存心が強いと思われたら恥ずかしい、だから寂しさを感じる人間関係は切る。」「私をこんなに寂しい想いをさせるのは、この人がわかってくれないからだ。」
最初の寂しさはささいなものだったのに(もしくは寂しさですらなく、ただの疲れや忙しさだったかもしれない)自分や他人を強くせめてしまう。これを繰り返すと、人は簡単に孤独になってしまいます。
寂しいから近づいては見ても、他人のちょっとしたそぶりが怖くなって、嫌われて傷つく、恥ずかしいよりは自分から切る、もしくは復讐してしまう。
表面に出てきた攻撃性だけを周囲は見ますから、あなたのことを「もっと大人になれ。」などと的外れた正論でなだめてくるため、「誰にもわかってもらえない。」という絶望と孤独のループになってしまうのです。
本当の本当のスタートは、誰かに優しくするための我慢の選択だったかもしれないし、両親の愛情がほしいだけのけなげな動機だったかもしれない。
なのに長年かけて繰り返される不安癖が、あなたの人生をとても生きづらいものに変えてしまっているのです。
だからね、寂しさは悪者にしなくていいんです。その裏にいっぱい、あなたの頑張り、思いやり、ギリギリの選択が詰まっていて、それを教えてくれる貴重なサインなんですから。
努力で自分を満たすのは後からでいいよ
不安型の愛着を持つ方には、不安すぎるからストイックに努力するタイプもいらっしゃいます。自己啓発、セミナー、資格試験、出会い系の攻略や合コン、仕事でのステータスアップ。
もうそれは目をみはるほどのストイックさです。
ストイックな目標達成は、一見するとポジティブなのですが、たとえば資格なら合格した一瞬は快感で、10秒後には次の資格を目指してしまいます。
恋愛や友人なども同じように、仲良くなるまでが達成で、つまらなく感じてすぐ次に…。実はこのゴールも、孤独でしかありません。その孤独感がさらに焦りを呼び、やがては目標が達成できなくなるまで(燃え尽き症候群や病気やケガなど)きたとき、達成ができない自分は無価値という最強の不安に襲われてしまうのです。
多くの場合、ここまで不安が強まった相談者さんは、いくら頑張りをねぎらっても、達成した成果を並べても、感情がマヒしてどこか他人事。むしろそれぐらいはできて当然という厳しい見方をしてしまい、さらに大きな不安の中へ飛び込みます。
激しく不安がるときだけ、誰かがかけつけてくれた赤ちゃんが、次は不安を努力で消した時だけ、誰かに褒めてもらえることを覚えたケースが多いですね。
無自覚ではあるのですが、不安である方が誰かに認められる、と無意識に不安な心を呼び起こす癖がついていると言えるでしょう。
カウンセリングが進んで癒され始めると、自ら不安になって幸せを壊す行動にも走りがちです。
ストイックな努力や忍耐なんて、今のあなたには必要ない。だってずっと無意識に耐えてきたんですから。今必要なのは、いかに自分の機嫌をとってやるか、仮に自分が片思いの相手なら何をしてあげたいか、それこそストイックに考えるときなのです。
結局、あなたの不安や恐怖は無理もないんだって
結局、この記事で絶対に言いたいこと!
・不安、寂しさ、見捨てられや嫌われ不安はあなたのせいじゃない
・無理やり親を愛しなくていいし、憎まなくてもいい
・あなたの率直な気持ちはだれがなんといおうと大切にされるべき
・今は自分の機嫌を全力でとるとき
この4つですね。
自分を責める時間なんてもったいない。せっかくその不安の中でも生きられてきたのに、その強さに気づかずに過ごすなんてもってのほかです。
カウンセリングをしていて、不安型でも素直な人って、変化がとても速いです。ただし、癒しが急激に進むと、幸せが怖くなって、攻撃的になることもしばしば。
とはいえ、それだって一時的なもの。ご本人は罪悪感や戸惑いがあっても、しばらくやり過ごすと「なんであんなに疲れる生き方をしてたんだろう。」と笑い話にしてくださいます。
自分を癒す、寂しさを紛らわす方法を求めてネット上をさまようあなた。
答えはネットではなく、自分のご機嫌を伺うことにすべてがつまっています。それが難しくてできないとき、ヒントになることはYouTubeでもメルマガでも話したおしていますので、ぜひご覧になってくださいね。
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