「承認欲求が強い自分が嫌い」と感じてしまうあなたへ ― その正体は、幼い頃に手放した気持ちの残留物です

「自分は承認欲求が強い気がする」「なんだか歪んでいる気がして、自己嫌悪に陥ってしまう」。

そんな風に感じたことはありませんか。

カウンセリングの現場でも、本当によくある相談です。

最終的には「自分はただ人にわかってほしいだけなんです」「それがうまくいかなくてイライラしたり、気持ちが沈んで人を避けたくなる」「結局、自分が悪いんです。どうにか変わりたい」。そうおっしゃる方が、とても多くいらっしゃいます。

でも、まず一つお伝えしたいことがあります。

そうやって「自分が承認欲求が強くて嫌だ」と言葉にできている時点で、あなたが思い描いている「承認欲求が強い嫌なタイプ」の姿とは、実はまったくかけ離れているのです。

それをただの励ましで終わらせず、この記事では心理学的な視点から、なぜそう感じてしまうのかを丁寧にお伝えしていきます。


なぜ「承認欲求が強い自分が嫌い」と感じてしまうのか

実は、自分の承認欲求の強さを自覚し、責めている人ほど、自分に嘘をついてきた歴史が長い傾向があります。

「理解されたい」という欲求を早々に手放し、まわりとの関係を円滑にしようとしてきた人、というほうが実態に近いのです。

矛盾しているように聞こえるかもしれませんが、この記事を読み進めていただくと、その理由がわかってきます。


承認欲求は、子ども時代には当たり前にあるもの

小さな子どもが、絵をかけたことや虫を見つけたことを「見て見て」と伝えたくなるのは、ごく自然なことです。

これは、いろいろな形で「自分はこの世界に存在していていいんだ」という気持ちを、本能的に確かめている行為なのです。

親から「それはいいことだね」「すごいことだね」と言ってもらえることで、「自分は大事にされる存在なんだ」と思えてくる。

これが、承認欲求の生まれるプロセスです。

呼吸をするのと同じくらい、当たり前にあっていいもの。それが、本来の承認欲求なのです。


家庭のバランスが崩れると、その欲求を手放してしまう

親子関係だけが原因ではない

親との関係がうまくいっていないケースだけではありません。

親同士の仲が悪かったり、きょうだいの一方だけがとても可愛がられ、もう一方は冷たくされたり。自分が犠牲になる側にまわるということも、家庭の中では起こり得ます。

こうして家庭内の機能のバランスが崩れているとき、人は自分が理解されたいという欲求そのものを、手放してしまうことがあるのです。

「言い訳」と「威圧」による、静かな搾取

スタート地点は、いつも「この家族の機能を、自分がどうにかしてあげたい」という幼い子どもなりの善意です。

そしてそこから、少しずつ搾取が始まります。

親が子どもに「自分を理解してほしい」と求めるとき、使われやすいのが言い訳と威圧です。

謝る気はないけれど、嘘をつくリスクも取りたくない。だから、「あんたのことをわかってあげられなくてごめんね」と本音では思っていない謝罪の代わりに、言い訳を並べてしまう。

「今こんなにイライラしたり、あなたに辛く当たったりするのは、こういう理由があるんだからしょうがないでしょ。わかるよね」というように、支配の威圧をかけてしまう。

親の人生への不満足感が、そのまま子どもへの態度としてぶつけられる。そういうケースも少なくありません。

小さい頃の親には体力も威圧力もあります。だからこそ子どもが屈するのは、精神的な搾取という形になっていくのです。


大人になって、「イライラ」や「怒り」として顔を出す

年をとって不自由になった親を目の当たりにしたとき、その姿を見た子どもの立場の人は、思わず幼少期の自分を体で思い出すことがあります。

「言い訳をたくさん言われるのが嫌だった」ということは、頭ではちゃんとわかっている。

けれど体は、その言い訳を聞いておかないと自分の居場所がなくなると学習しているので、だんだんとイライラが募ってくるのです。

「諦めて答えるしかなかった」という子どもの頃の記憶が、体や感情を支配し、イライラという形で表に出てくる。

そしてそのイライラした部分だけを切り取られて、「そんなに体が弱っている親の世話もせずに、イライラした目で見て」と言われる。大人になっても、また同じ構造の搾取が繰り返されてしまうのです。


「承認欲求が強い」のではなく「我慢してきた残留物」

自分に嘘をついて、理解されたいという欲求を手放し続けてきた結果、その我慢は子どもの頃から長い時間をかけて積み重なっていきます

この積み重なった部分を、大人になった自分自身で振り返ったときに、「なんて自分は承認欲求が強いんだ」というふうに見えてしまうのです。

弱っている人に対してイライラしてしまう自分を見て、「なんて器が狭いんだ」「優しくないんだ」と責めてしまう。

でも、その奥にある本当の気持ちは、ただ「わかってほしい」だけなのです。

承認欲求という言葉自体は、ダイエットでいう糖質や脂質とよく似ています。

糖質も脂質も、体を動かすために欠かせないエネルギー源です。それを全部手放して、痩せ細った心のまま今日のエネルギーを欲しがることは、決して悪いことではありません。

人と人とが交換し合い、釣り合いが取れていると感じられるとき、承認欲求は温かさとなり、人と人とをつなぐ、とても大事な材料になるものなのです。


気づくことから、現実との調整が始まる

「承認欲求が強い自分が嫌いだ」という嫌悪感の中にいるうちは、現実が正しく見えなくなってしまいます。

でも、絶望したり怒りが出てきたときこそ、その奥にある「そっか、悲しかったんだな」「ここにいていいと思いたかったんだな」という本当の気持ちに気づいてあげてください。

そう思えた瞬間、初めて今の自分のまわりに、「ここにいていい」と思えるものがすでにあるかどうかに、目が行くようになります。

頭では「パートナーはとても親切で、自分のことを話していいと言ってくれている」とわかっていても、心がついてこない。そのズレを整えていく作業が、ようやくここから始まっていくのです。


まとめ

「承認欲求が強い自分が嫌い」という感覚の正体は、幼い頃に家族のバランスを保つために手放してきた「理解されたい」という欲求の残留物です。

それは決して、あなたの性格が歪んでいるからではありません。

無力な子どもだからこそできた、精一杯の善意の結果なのです。

まずは、そのイライラや怒りの奥にある悲しみや怖さに、少しずつ気づいてあげることから始めてみてください。


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